指導か嫌がらせか
「先輩の先生から受けた指導がとても強烈でした」
10年以上前になることを、まるで昨日のことのように話す佐藤さん(女性・仮)。現在も別の自治体で小学校の教員を続けていますが、当時のことは鮮明に覚えているようでした。
「とにかく理不尽なことが多かったです。『下っ端なんだから早く来て職員室の掃除を済ませておけ』なんていうのはまだ納得もできる部分はあったのですが、研究授業に向けて自分なりに一生懸命作った指導案(授業の計画のようなもの)を目の前で破かれたときには怒りよりもその現状を理解することへの戸惑いがありました。
なぜ見もせず破棄したのか聞くと、『一回目に作った指導案はどうせ出来が悪いから見ないことにしてるんだ』とのこと。仮にそうだとして、作った人間の前で破く必要性は、私には全く理解できません。
何よりも一番いやだったのが、その先輩のクラスだけでなく、私のクラスのこの前でも『こんな指導をしてるからお前はだめなんだ』と言ってきたことです。私に対してだけでなく、子どもたちに対しても失礼だろうと思うんですが、そのあたりを理解してもらえずとても悲しくなりました」
「長期の休みを頂くことはありませんでしたが、心療内科に通院することはありました。先生ではない友人と偶に会うと、私のやせた姿に驚かれることもありました。
ですが、良いのか悪いのか、小学校では学年職員として同じグループで一年間働きます。従ってその先輩と一年間つきあう反面、その時が過ぎてしまえば離れられることも分かっていました」
自分がされたことと自分がしたこと
「その後他の先生と学年を組んだり、異動をして職場が変わったりして、当然良いときもあれば悪いときもありました。
そうやって過ごしていたある年に、2クラスの学年の、学年主任を任されることになりました。相方となった先生は代替で来られた年配の女性で、今まで先生の経験はないとのこと。私は自分のクラスも見ながら、その女性の子どもたちが不利にならないよう、毎時の授業の展開を聞いたり、板書計画を書いてもらって添削していたりしました。
そしてそれらが出てこないときには、『どうして提出しないのか』ときつくあたることもありました。
また、その女性は高圧的に子どもと向き合う方だったので、隣のクラスから子どもの泣き声や先生の怒鳴り声がよく聞こえてきました。そんな時私は、隣のクラスを見に行きながら『隣の先生も困ったね』というような言葉を自分のクラスの子に向けて言っていました」
「そうです。自分が指導されてきたように、自分もその女性に向き合っていたのでした。子どもの前で同僚の先生を下げる発言をすれば、その先生に対する敬意も無くなり、余計にクラスの運営が上手くいかなくなると分かっていたのに、です」
佐藤さんはゆっくりと、しかし時に興奮しながら話してくれました。その時に戻ったとしたら、佐藤さんはどう振舞いますか?と問うと、冷静に言葉を選びながら答えてくれました。
「ですが、事前に授業の確認を細かく指導したことなどは、私自身そんなに間違っているとは思っていません。そのクラスの子どもたちの為になると思っているからです。今の職場では幸い、自分が辛い思いも、誰かにきつく当たることもありませんが、同じ状況になったら同じように振舞うと思います」
恐らく、取り繕うことなく本心で話してくれたように思います。子どものために、と思う気持ちと自分の辛かった経験とを比べ、共通する部分を天秤にかけたときに、子どもをより重く感じたのだと思います。
自分が受けたような教育を、自分もする。このようなことも、教室内でも職員室内でも、きっと起きているのだと思います。
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