今回は、療養休暇を経て自分らしい働き方、自分らしい生活を見つけた男性教諭にお話を聞きます。
―――現在は校内でどのような仕事されていますか?
現在は関西の主要都市で小学校教諭をしています。新卒から8年目、新しい勤務地について1年目になります。担当は少人数算数です。
日々働く上で、1に目の前の子供たちに必要なことをする、2に他の職員が楽になることをする、ということを大切にしています。子どもたちが望むものを中心に授業を考えたり、他の職員がやってほしいことを想像してサポートをしたりしています。
ICTが得意分野なので、同僚に機器の使い方を教えたり、エクセルでマクロを使ったシートを作ったりするなど、今ある仕事の負担を減らす業務を担当しています。
また、プライベートでは、筋トレを日課としています。ほぼ毎日ジムに通い、昨年夏にはフィジークの大会にも出場しました。次は、また別の大会の出場を目指して日々トレーニングに励んでいます。気分転換やメンタルの安定に大きく影響する趣味ですね。
―――現在まで学校で働いてきて、辛かったことや苦しかったことはありますか?
休みや趣味に使う時間がなかったことです。
勤務し始めてから4年目ほどで、大学の頃より研究していた理科教育についてさらに学べる機会を得ることになりました。授業実践や論文を執筆したり、外部の研究会で授業の検討をしたりするほか、この頃は年間で5本は研究授業(多数の教員に公開し、検討を行う授業)を受け持つようになるなどほぼ生活のすべてを仕事に費やす状況でした。
平日は自校での仕事、土曜は研究会への参加、日曜はその研究会で学んだことを自校に活かすための時間、とほぼ休みはありませんでしたね(笑) 国や附属校主催の研究会だったので、そこでの期待に応えよう、頂いた期待を逃さないよう、崖に追い詰められながらも必死にもがいていたような感じがします。
―――期待によるプレッシャーが大きかったんですね。その中で最も印象に残っていることはどういったことだったのでしょうか。
期待をかけられ、国の理科教育の未来を担うだろうと思っていた強い自分が一瞬のうちに弱い存在に変えられたことです。
研究会に参加し、授業もこなしている自分がそれまでは大好きでした。強い自分、他人とは違う特別な存在と思っていましたし、やりたいことをやり尊敬される存在だと思っていました。しかし、倒れた時をきっかけにそれがすべてなくなってしまったんです。期待してくれていた人もあっさりと離れていったことがすごく辛かったです。自分は決して特別ではなくありふれた存在だったことを実感させられたことが心に強く残っています。
―――緊張の糸が切れたのでしょうか、体の調子が悪くなっていったんですね。その時のことを教えていただけますか?
糸が切れたように突然倒れ、人の目が怖くなりました。
先ほど話したように仕事に没頭していたのですが、ある日いつものように出勤しようと自宅のドアを開けた瞬間です。突然涙が溢れて止まらなくなり視界が暗く感じそのまま地面に倒れ込みました。お酒を飲んでいて立ち上がった瞬間くらっと力が抜けるような感覚でしょうか。しばらく玄関先で座って気がついたら夕方になっていました。その日は無断欠勤でしたね。
心療内科を受診しようとしましたが、外に出ると空気が重く冷たいように感じ、ありとあらゆる場所から視線を感じました。このような状態では電車に乗ることはできないと思ったのでタクシーで病院まで行きました。
薬を貰って診断を受け、療養休暇の手続きをしましたが、このあたりはあっけないほどスムーズに進んでいきました。
療休を始めてからの3日間くらいは視線が怖いので出歩くこともできず、真っ暗な部屋で寝て過ごしました。食事もほとんど摂りませんでした。実家から親が看病に来てくれましたが、行動すべてが「うざったく」感じたのを覚えています。
あと、この数日(症状が強い期間)はなぜか痛みに敏感でした。ぶつけた、口を切ったらずっと痛みがひきませんでした。何かしたいという思いが湧いてこないことも辛かったですね。
あとこれは少し違うかもしれませんが、薬を飲み始めると、夢が長く感じるようになりました。記憶も鮮明で、以前は一瞬のわけのわからない映像が出てくるはずだったのが、一本のストーリーになった夢が一時間ほど続く感覚でした。このこともあって睡眠のリズムはバラバラでした。
(2)へ続く
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